目次
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よしぼうの旅立ち~保育園時代
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よしぼうの旅立ち~中学生時代
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よしぼうの旅立ち~高校生時代
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最後に
前回の記事で故郷についてお話をしましたが、その故郷で私がどんな子供だったのか、そして社会人になるまでのお話をしていきたいと思います。前回の記事と若干話が被るところもありますが、ご了承ください。
保育園時代
私がまだ小学校に入る前、保育園児の頃、記憶があるのは4~5歳くらいでしょうか?はっきりと覚えているのは6歳くらいで、自分ではおとなしい方だと思っていたら、3~5歳くらいの頃は、暴れ回っていたり、ひたすら滑り台で遊んでいたようです(苦笑)。
運動は得意な方ではなく、縄跳びや鉄棒は全然できなかったです。走るのは好きでしたが、速く走ることはできず、へんてこりんな走り方をしていたと思います。すぐに抱っこ、オンブをせがんでいたから体力がなく、身体能力も低かったのでしょう。
一方で、物づくりは得意で自分で創造して色々なモノを作っていました。創造性が豊かな子でした。ごっこ遊びも好きだったかな?
小学校時代
さて、小学校に上がると、勉強と部活が日常生活に入ってきます。私は勉強が得意な方ではありませんでした。平均より少し下あたりです。あまり真面目に勉強をしていなかったのは、今思うと反省点です。算数の計算は好きで教科の中では得意な方でした。理科も好きでしたが科学って難しい(汗)。あまり評価は高くなかった。体育は一番好きだったかな?でも運動音痴なのでへたくそ丸出し。うまく蹴れない、バットに弾が当たらない、ドッチボール弾を取れない・・・。そんななか輝いていたのは跳び箱とマット運動です。なぜかこれだけは得意でした。
部活動には入っていませんでした。理由は見ず知らずの人(コーチ)にあれこれ怒られるのが嫌だったからです(笑)。そのため、6年間フリーでした。
家に帰ったら、家の周辺の山林、野原で「今日は何しようかな~?」と毎日何かしら遊んでいました。野球のバットでサッカーボールを打ってみたり、水鉄砲でクモを撃ってみたり、木のぼっこをちょうどいい長さに折って剣にしてみたり、色々してましたね。
外が暗くなってくると家に戻って、ゲームをするか、カードゲームで遊ぶか、ビーダマンで遊ぶなどして時間を使っていました。
田舎らしい、楽しい日々を過ごしていたと思います。
中学生時代
よしぼうエアガンにハマる
中学に入ると、体も心も少し成長し、趣味趣向が変化していきます。この頃からエアガン・サバゲ―が好きになり、安いエアガンを買って、友達と撃ち合いをしたり、的あてをしていました。コッキングを毎回してリロードするので大変なんですよね。そのため、ガスブローバックのガンを持っている友達は羨ましい存在でした。
よしぼうテニス(硬式)にハマる
部活には相変わらず入っていませんでしたが、この時はテニスにハマっていました。テニスの王子様というアニメが入っていてブームになっていたころです。ツイストサーブが打ちたくて、マメができるくらい練習したのが懐かしいです。ド素人ですから、どうやったらできるのかな~っと本やアニメをよーく見て、あーだこーだ自己流で練習してました。アニメのようにキレッキレのサーブはできませんでしたが、かなり変化するサーブが打てるほどになりました!人は頑張ればできる生き物ですよ。
よしぼうジャッキーにハマる
また、この時期くらいにジャッキーチェンに憧れて、トレーニングをするようになりました。
ノンスタント(スタントマンではなく自分でアクションをする)で激しいアクションを自らする、というスゴイことをしている人がいることに驚愕し、尊敬し、憧れました。この頃の映画やドラマはCGやスタントマン、ワイヤーアクションといった技術を使ったアクションものが流行っていて、カッコいい出来ではありましたが、リアルさがあまりなく、現実離れした感があり、のめり込めるものはなかったのです。ジャッキーチェンの映画を一目見た時に頭の中に雷が落ちたのを今でも忘れません。ジャッキーチェンの映画には数々の名作があります。酔拳、ポリスストーリー、プロジェクトA、スパルタンX、プロジェクトイーグル等々。←ぜひ見てください、おススメです♪
ジャッキーチェンみたいになりたいと、筋トレを始め、腕立て、腹筋、背筋、逆立ち、スクワットのしゃがんだポーズで止まるやつ(酔拳で有名なポーズ)、木に紐を括り付けて殴る、鉄棒の上を歩く、塀の上を早歩きする、など独特なトレーニングをしていました。
トレーニングをしていても食が細かったのであまり筋肉はつかず、細い体にちょっとだけ筋肉があるガリガリな体でした。
高校生時代
高校生にもなると、就職に向けて本格的に進路を決める頃になります。中学生の頃は消防士になりたい、と思っていて親に相談したところ、消防学校の入学金が高いから無理だ!と言われてしまい、途方に暮れていました。高校に入り、どうするかな~と考えていると保育園から一緒の友達がどうやら自衛官になるということを耳にして、「自衛官」という選択肢が新たにでてきました。自衛官になると、給料が安定!生活費がかからない!土日は休み!と広報の人に誘導され、自衛官になるか!っと志したわけです。
目標は自衛官になること、そのためには・・・
さぁ、自衛官を志すことを決めたよしぼう。まずは試験に合格しなければ、そもそも自衛官になれません。よって勉強をしなくてはいけないわけで、これまでまじめに勉強してこなかった私ですから、まぁたくさん勉強しました。おかげで成績も中の中から上くらいにはなったと思います。
次に自衛官になってからの訓練についていけるのか問題がありました。
これまで部活動に一度も入らず帰宅部として生きてきたので、体力は心配でした。幸い筋トレは中学からしてきていたので0スタートではなかったのが良かった。とはいえ、もっと鍛えないとやってはいけないだろうと、トレーニングを改善しました。目指せ自衛官の道!
自衛官への道~トレーニングの強化~
その一
まずはランニング。中学の頃は近所を軽く走る程度でしたが、これを町内をぐるっと走るルートに変更。距離を倍近く伸ばしました。ときどきマスクをして負荷をかけ走ることもしました(漫画「はじめの一歩」の伊達の影響)。
その二
腕立てや腹筋は回数を増やしました。少なくても一日100回はするように。腹筋は200回くらいしてたこともあります。←実際のところは回数だけこなしていた。
その三
5キロダンベルを使った上腕を鍛えるトレーニング。
その四
1キロの重りを足に着けて生活をする。学校のカバンに10キロの重りを入れて教科書も入れて毎日登校。登校するときは基本走り。友達の家に遊びに行くときは、信号で止まる以外、全力で走る。←これはけっこう効果があったようで、自転車で走る友達の横を走ってついていけていた。
その五
自衛隊と言えば、重たい荷物を背負って行動する、というイメージがあったので、重たい荷物になれるためのトレーニングとしてやっていたのは、ラックサックマーチのようなことです。重りを入れたカバンを背負い、ランニングする、といったトレーニングを私はしました。
まず初めは10㎏の荷物からスタート。歩くのではなくランニングです。どのくらいの距離を走れたか?
驚きの100mでした(笑)←これホント。
まじか!? こんなに走れないもんか?と驚き、同時に悔しさ、情けなさを痛感。
いくら走ろうとしても、息が続かなかったのです。これはまずいと思い、ちょっとづつでもいいからと、継続して距離を増やしていきました。不思議なもので100mしか走れなかったのが200、500、1000mと距離が伸びていったのです。これは本当に嬉しかった。達成感半端ない。
「俺、やればできるじゃん!」
これが自信につながっていき、どんどん向上していきました。
荷物の重さも10㎏から15㎏、20㎏、23㎏、25㎏、27㎏と増やしていき、長くて5キロ、短くても3キロは走れるようになりました。荷物の最大重量は30キロで、カバンのショルダーハーネスがブチブチっという千切れる音がしたため、これ以上は増やせず、そして当時の私の体重は46㎏でしたので、体重の3分の2以上の重さを背負って走るのは厳しく、気持ち的には走っているが、実際のペースは早歩きくらいになっていました。とてもじゃないけどスタスタ走れません。当時の限界です。
そしてこのトレーニングの一番つらいのは急な坂を走り上るポイントがあること。←ドSなのかドMなのか、わかりませんね(笑)
結構な斜度がある坂で、普通に歩いても大変な坂を25㎏以上の荷物を背負って走る、わけですから過酷です。この坂を登るまでに何回も気持ちが折れます、はじめのころは何度も途中で歩きました。次第に歩く数が減り、最終的には走って登りきることができるようになるんです。本当に人間やればできる生き物ですよ!
この坂を頑張って登ったら、今度はその坂をUターンし、また数キロ走るコースとなります。
ちなみにラックサックマーチは重量物を背負って長時間・長距離を歩くというものなので、行軍になれるのであれば、重い荷物を持って早いペースで歩くこと、が大切だと思います。
そして時は経ち、試験は…無事合格!
晴れて4月から自衛官として就職し、活動をしていくことになりました。
18年間育った故郷とも、これでお別れです。初めての親離れ、初めての地元以外の土地、初めての共同生活、初めての社会…不安に溢れていましたが、私には共に自衛官になった友がいたので、不安に飲み込まれることはなかったです。
さぁ自衛官としての道を歩み始めます!
最後に
次の記事はいよいよ
これが私の人生~自衛隊編~でございます。
お楽しみに~♪
それではまた会いましょう!
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